オサの記事を読んで懐かしさを覚え、この頃は学生だったんだなぁと改めて思い出した。
http://81428.diarynote.jp/201205301212515845/

自分も少し思い出してみよう。
信大
・朧霞
SG研で見つけた超人的変態、何度俺をレイ○したか分からない。メタの中心を食うヘンテコデッキの調整相手にされたせいで自分のデッキが歪んで行ったのは間違いない。
ありとあらゆる大会で執拗にDCIコンピューターにマッチさせられ、いい加減嫌気が刺した事も合ったといえる(自分のデッキはメタの中心の事が多かったから)。
対戦成績は相当酷く3:7くらいだと思う。プレリとかのシールドで勝った記憶が殆ど無い。
恐らく松本に居る間は彼と一番多くデッキを回したはず。オサは俺とデッキ回すのは余り好きじゃなかったから、ある意味長野に居る間の一番の調整相手じゃないかなぁ。
その後も人生相談など色々あり、オサやDelで解決しない微妙な部分は殆ど朧霞がカバーしていたと言えるかも。
「一番酷い仕打ち」
ライフ18からクローシス+《無謀なる突進/Reckless Charge(ODY)》*2裏*2で殺された。

・オサ
SG研の新歓コンパの会場の中国料理屋で会ったのが最初。
オサはFireseやレベルが流行始めたころなのに、何故か《ベナリアの使者/Benalish Emissary(INV)》を探しており、なんに使うんだ?と思った記憶がある。(大体コピペ)
長野に居る間は随分お世話になったけど、何だかんだで自分より常に高みに居る人で、それが色濃く出たのがリミッツの第1回地区予選の決勝だったかな。多分あの時自分は一生この人には勝てないんだろうなぁと感慨深く思ったもので。
対戦成績は酷いもので自分と朧霞の対戦成績が3:7とすると、オサとは1:9みたいなものだった。結局手抜きされた試合以外じゃ一度も勝てなかったんじゃないかな。
ただ大会では当たる事は少なく、それが数少ない救いだったとも言える。
「一番酷い仕打ち」
初対面のFires対レベルで《革命家チョー=マノ/Cho-Manno, Revolutionary(10E)》に《最下層民/Pariah(7ED)》を張られる。

・Del
西家の住民その3、MTGより大学の方で世話になったかな。俺が料理を作りDelが俺の単位を助ける、ギブアンドテイクやね。
それにしても(西家に居る間は)こちらのある情報を殆ど握っていたんじゃないだろうか。趣味から何から。まぁ大学時代が楽しいと思えたのは彼の存在が一番大きかったんじゃないだろうか。元々食にはそこまで拘らなかった自分の舌が肥えたのは彼のせいです。
今でも付き合いはあり、マジック仲間と言うより美味しいものを食べる仲間と言う感じになった。
「一番酷い仕打ち」
交互に自炊しようと決めたのに、2回目で無理宣言をされた。

鉄人組
・もふー
西家住人その1、オサの紹介で出会ったときにメロンと言う緑白に赤を混ぜてパイナップルだとかほざいていて、なんだこいつはと思ったのが最初。思えば西家に開国を迫った張本人であり、以降大西家に屯する事になった人間の英雄的存在と言えるかもしれない。
ターボバランスのサイドに何故か《十二足獣/Dodecapod(TSB)》を入れていたせいで、白黒ハンデスの俺は酷い目に合う事になった。
「一番酷い仕打ち」
トイレにキノコのポスターを張られた。

・W松
鉄人組初期メンバーであり、当初使っていたのは緑赤黒系のデッキが多かったイメージ。
こっちが純正ステロなのに相手のステロには《魂売り/Spiritmonger(APC)》が入っていて涙目逃走したのが最初の思い出。その後西家の住人その2となり麻雀やらマジックやら色々相手になって貰った。
W松、I上さん、楓さんで麻雀を打ってるときが今思えば学生時代で一番面白かったのかもしれない。
「一番酷い仕打ち」
俺のダッツを勝手に食った。

・N口君(ネット組だとことはのがしっくりくる)
俺がネトゲをしてる時にW松が連れて来たのが最初(本人曰く)、ネトゲやってる俺を汚いものを見るような目で見ていた模様。後で引きずりこんだけど。
長野では指折りのセンス○プレイヤーだが、たまに理不尽な場にされて悶絶しているのをオサと自主規制。
長野の男色家を増やした走りとも言えよう。
「一番酷い仕打ち」
どうしよっかな~もうやめよっかな~。

・kztさん
二人してグダるのが大好きだったせいで、二人揃うと必ずグダる。水掛け論大好きな間柄。今思うと俺のグダりに付き合ってもらってたんだろうか。
大人でもあるし子供でもあるし、でも色々な相談に乗ってもらったり随分と個人的に世話になった。
純粋にマジックについて話すのならkztさんが一番やりやすかったかもしれない。
「一番酷い仕打ち」
Fires対緑白ビートでサイドから《緑の防御円/Circle of Protection: Green(ICE)》を入れられ完封される。

・706君
何かのプレリで松本か岡谷に行くMr.Cidカーに一緒に乗った際に話したのが最初か。
北信もまだ見込みのありそうなプレイヤーがいるなぁと思ったことを覚えている。(コピペ)
長野の有望な若手を一人発掘できたという事でその後オサと盛り上がっていた気がする。

中野勢
・仕事人、ZAKIYAMA、チェ、尚ちゃん、KeJ達
オサの紹介、何だかんだで仲良くして貰った。仕事人は就活中余りにも金が無くて家に泊めてもらったり世話になった。どちらかと言うと鉄人杯やCoP杯で絡んで金龍飯店で飯を食う間柄だった。

サンクタム、須坂勢
・Mr.Cid
多分CoP杯が初対面、オサや朧霞と同年代やーみたいな話をしたのが最初な気がする。
毎度松本で大会があるたびに車の世話になったのは、今思うと申し訳ないけど、プレイヤーとしてある意味育ててもらったという感じもある。
GPだと回りのプレイヤーやジャッジが外様で敵だらけのように映る中、数少ない癒し要素的な存在だった。

・ラックさん
西家の住人4、マジックが本当に好きな人間を具現化するとこうなるんだろうなぁと言う感じだった。初対面は・・・何処だろう、多分大会だとは思うんだけども。一番鮮烈な記憶は日本選手権予選でパッチステロ対タッチ黒ステロで《荊景学院の戦闘魔道士/Thornscape Battlemage(TSB)》の2点で殺された事。
うちにもよく居て麻雀を良くしたなぁ、あれ二人とも気持ち悪いくらいマジック好きなのに、二人でマジックの調整をした記憶が余り無いな。

長野工業
・清、S原、フェル
長工3人組、そして高校生選手権にでた3人組。そのとき既にある程度仕上がっていた清とS原(特に清は長野で比較できるレベルのプレイヤーが居なかった)がフェルを西家に連れて来て1月で物にして欲しいと言われ始めて弟子を取る事になった。
彼らの高校選手権での活躍はそれはもう自分の結果のように気にしていたし、後1勝の所で負けてしまったときは心底残念だった。
この頃別に勝ちきれるわけでもない自分が、清に依頼されるくらい信頼(?)されて居たのかは謎。

・坂さん、H口
西家の住人5+6、2人とも個性ある人柄で特に坂さんとは完全に共同生活状態だった。ちなみに西家住人の証号は1ヶ月に1週間以上うちに来たら得られます。坂さんは半年で175日くらいうちに居た気がするけども。
今考えると坂さんにも無茶言ったし、無茶言われてた気がする。でもま、楽しかったからいいんじゃないかな。もうちょっと自分が人間として完成していたら、坂さんに色々してあげられた気がする。


よくもまぁこれだけ色々な人と付き合い、ゲームをしたものだ。自分はもうこの時ほどマジックをする時間は無いけども、折角の縁はこれからも持ち続けたいと思う。
マジックは人とやってこそのMTGなのだし。

コメント

もふー
2012年6月8日17:24

懐かしいなー。ガチで10年くらい前の話だしなー。
全然記憶ないけどパイナップル()の時代に知り合ってたんだっけか・・・
長野杯予選通ったのはpraeさんに借りたカウンターランドだったのがいい思い出。
禁断の治療薬はそればっかり大量に置いてたLAOXが悪いんです。俺は悪くないんです。

またBigWestHouseでたこ焼きパーティーしたいねえ。あの頃は輝いてた。

prae
2012年6月11日14:03

>>もふー
別に今でも来れない距離でもないだろうに。
カウンターランドあったなぁ、《好機/Opportunity(ULG)》が強かった。

朧霞
2012年6月13日12:50

当時の地雷の原点は、ちゃんとしたデッキを使って回してくれてたpraeの功績が大きいと今でも思う。

クローシスは良い思い出(笑)

prae
2012年6月21日14:30

>>朧霞
絶対に許さない。

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