自分はもはやプレイヤーとしては終ったに近いし、このBlogを見てる人も本当の物好きかヤクルトファンか10年来の付き合いだけになってそうですが、この件くらいは少し話しておきたいと思う。

半分くらい自分語りと、そしてオサの二番煎じになりそうで、相当つまらないと思うけども・・・。








朧霞と出会ったのはオサより少し早くなる。

大学に入りカードショップを探していた俺が一番最初に見つけたのが松本駅前のP&Hだった(まだあるのかね?)。
店長のK安さんとか変なデッキ使う人が多く居た中、明らかに他より強い、そして他より更に変なデッキを使っていたのが朧霞だった。

確かインベが出てFiresが隆盛していた頃、朧霞が使っていたデッキは
《冷たい亡霊/Chilling Apparition(PCY)》が《暗黒の儀式/Dark Ritual(MIR)》から出てくるデッキで、フィニッシャーは《意志の化身/Avatar of Will(PCY)》という訳の分からんデッキだった。
と言っても自分もまだMTGを初めて半年足らず、持っていたデッキは《雷景学院の使い魔/Thunderscape Familiar(PLS)》と《からみつく鉄線/Tangle Wire(NEM)》が入ったヘンテコなFires1つだけだったと思う。

そんな未熟なプレイヤー同士の出会いが自分の長野でのMTGの始まり、そしてイコール人生のMTGの始まりだった。
それまで家で弟と回す位しかMTGをしたことがなく、大会も非公認に1回出ただけの自分には長野のMTG界は広く分厚かったけれども、この1歩目は大きな1歩目だったと思う。

そこからP&Hで燻ってたDelと出会い、朧霞の紹介でオサと出会う。これが某大学四天王(正確には三人衆+ジャッジ一人)の始まり。

元々基礎の整っていたオサはあんまりP&Hの野良試合とか、自分の作ったクソみたいなデッキ(この頃は《とっぴな研究/Wild Research(APC)》で《機知の戦い/Battle of Wits(M13)》持ってくるトリコとか、謎のデッキを色々組んでた)で持ちかける練習にはもっぱら乗ってくれず、どっちかというと朧霞の謎デッキと謎のデッキ同士の謎の調整をしたりすることが多かった。

お陰様で相手のデッキをピンポイントで狙うアンチカードが入ったりすることも良くあった。
《焦熱の溶岩/Scorching Lava(INV)》がFiresの《ウルザの激怒/Urza’s Rage(INV)》を押しのけてメインにに入ってたのは俺くらいだろう。

自分は大学2年目から何とか長野に移動し、朧霞とは少し疎遠となってしまう。
そこからは自分は当時の北信勢、所謂黄金世代の影響を受け純粋に勝ちに向かうデッキが主となっていく。
一方朧霞は相変わらず魔境の南信で地雷デッキの開発を続けていた。

ここで自力、と言うかプレイヤーとしてのセンスの差が出始め、朧霞の才能が開花し始める。
サイカが話題にすら上がらなかった時期からの激動ゾンビ。
その名を日本に轟かせたWild Angel。
そしてフジケンをワンパンキルしたフェイジGo。

この頃の自分は4-2人間と言う不名誉なアダ名で呼ばれたりして、勝ち切れない伸び悩み時期で、長野杯の権利がそもそも得られなかったり(朧霞は当然出てる)、日本選手権予選で自分踏み台にしつつ朧霞がWild Angelで権利を取得されたのには羨ましいやら悔しいやら。(神の怒りトップ事案)

それから自分が2006年に長野杯で優勝するまでは練習ではタコ殴りされ、公式戦でも勝てず、プレリではそもそも話にならないくらい相性が悪かったりと、自分の中では最初の付き合いから転じて倒すべき相手(所謂ライバル)として認識し始めるようになる。

その辺りから地雷の朧、地味のpraeは定着していった気がするのだが、それはまた別の話。

そこからも朧霞のトラブル話の相談に乗ったり、逆に自分が村八分の状態で誰にも相談できずに朧霞に相談したりと、お互い色々あった。
自分にとってオサは今も昔も雲上の(変態の)人で、朧霞は今でもライバルっていうのはその辺りのゴタゴタとかもあったかもしれない。

あのP&Hでの出会いから、大学で3人で結託して長野で、そして長野を強く盛り上げて行こうと切磋琢磨てからもう13年。
遠征にも録にも行かず、やれ○信に負けるな、と言うレベルの時代から大抵のGPに漏れ無く出かけて酒を飲んでる、というのがどの位コミュニティが発達したかと言うのは本当に驚くべきことだと思う。

これはただの妄想だけど、82~83年世代は凄く強い世代というわけではなかったのかもしれないけど、長野MTG界を突き上げる起爆剤になったんじゃないかと思っている。
俺は役に立ったというより部屋が役に立っただけかもしれないけど。

朧霞がMTGをやめるのは残念だし、多分相談されていたら引き止めていたと思う。
オサは帰る場所を用意していると言っているし、戻ってくることも有るんじゃないかな。
目指したところは違ったけれども三人三様、人生の半分をMTGと共に成長してきた。
できればまた3人でMTG談話を、あの教室でしたいと思う。

と、こんな所で長くなったけどここまで。

コメント

朧霞
2013年10月5日9:41

Praeまで日記を書いてくれるとはね。
ありがたい限りだ。

少し前に話をした時に、この話を振るかは迷ってたんだ。
GP誘ってくれたことには感謝してるよ。

また機会があれば、ゆっくり話でもしようぜ。

Ono GP03
2013年10月5日10:25

朧霞さんは良い友人に恵まれたのですね(´・_・`)

>>ひ
思考囲い欲しいー!とか言ってた人が次の週にいきなり引退宣言でびびりました。

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